気仙沼という町

一ノ関駅で東北新幹線を降り、大船渡線に乗り換えて、ゴトゴトと山あいを走る二両編成の列車に揺られること1時間強。
窓の外はいつまでも深い緑の景色が続き、「ほんとうにこの先に、海があるのだろうか」と不安になりはじめるころ、
ゴォッという音とともに列車はトンネルに突入する。
しばらくの轟音ののちにトンネルを抜けると、視界がぱっと明るくひらけ、列車は街の中を走っている。

港町、気仙沼に到着です。

気仙沼は
「正面に海が広がって、背後に屏風(びょうぶ)のように山が立つ」
と言われます。
まわりを山に囲まれているので、陸路だと、山越え谷越え向かうことになり、まるで辺境の地のようにも感じる気仙沼ですが、実は、海で世界中とつながっています。

気仙沼は昔から、遠洋漁業の基地として栄えてきました。
漁業というと、目の前の海に船を出して漁をするイメージがあるかもしれません。
でも、気仙沼の漁師たちは、大きな船をつくり、ときには地球の反対側まで漁に出かけました。
ニュージーランド、チリやアルゼンチン、南アフリカのケープタウンをまわって、スペインやアイルランドの沖まで行って漁をすることもあります。

気仙沼のお年寄りと話していると、
「東京なんておっがねぇとこ(こわいところ)、行ったことねぇ。あ、でも若いころ、ハワイにはよく行ったなー」
なんて話を聞くことも、珍しくありません。

世界の海を股にかけた気仙沼の人の感覚は、どこか「グローバル」です。
「グローバル」という言葉は、英語で「球体の」という意味がありますが、気仙沼の人たちはまさに地球をまるいものとして捉えているのかもしれません。

気仙沼の人たちは、自分たちが世界に出ていくだけでなく、昔から、いろんな地域の人たちを町に迎えてきました。
魚を追いかけて三陸の海までやってきた各地の船が、気仙沼の港に入港して、水揚げをするためです。
カツオやサンマの漁の季節になると、長崎や高知、富山など、日本各地の船が気仙沼の港に入ってきます。
いまでは、インドネシアの若い船員さんも、気仙沼の町で買い物をしたり、カフェでコーヒーを楽しんだりしています。

昔から、いろんな地域からやってくる漁師さんを迎えることで、栄えてきた歴史があるからでしょうか。
気仙沼の人たちは、外の人に対してオープンで、お客さんが来てくれるのが大好きです。
食べきれないほどたくさんの、新鮮でおいしい魚介でもてなしてくれます。

漁業は、自然と向き合う仕事です。
大漁のこともあれば、不漁のこともあります。
海は、豊かな恵みを与えてくれるものであると同時に、ときにおそろしく、命の危険にさらされることもあります。
そんな漁業が町の中心にあったためか、気仙沼の人たちは、不確実性を呑み込んで、自分の信じることをする「胆力」があります。
それに、ちょっと豪快で、明るくほがらかです。

2011年、気仙沼は、
東日本大震災で大きな被害を受けました。
たくさんの悲しいことがありましたが、それを乗り越えてきた気仙沼の人たちは、みんな、優しくて、強いです。

人が魅力的で、おいしい海の幸がたくさんあり、自然も美しい気仙沼に、
ぜひ、遊びにいらしてください。
楽しみに、お待ちしています。

JR一ノ関駅からタクシーをご利用の場合は、事前にご予約ください。
料金は、おおよそ1万3千円くらいですが、詳細はタクシー会社にお問い合わせください。

気仙沼観光タクシー
電話:0226-22-6000
ウェブサイト:https://heart-beat-bexi.jp/