『気仙沼ニッティング』という会社。

こんにちは。
『気仙沼ニッティング』のリーダーをしております、
御手洗瑞子です。

とつぜん気仙沼で、
手編みの「編みもの」の事業が始まって、
しかも「受注数」も片手で数えられるほどで、
「一体これは、どういうものなのだろう」
と思われた方もいらっしゃるのではないかと思います。

ここでは、舞台裏をお見せするような、
打ち明け話をするようなつもりで、
この『気仙沼ニッティング』がどんなことを目指していて、
また、どういう事業として
成り立たせていくつもりでいるのか、
固いことも、まだふわふわとやわらかいことも含め、
少しお話しさせていただこうと思います。

 

●とても小さなスタートですが、  「会社」として立って歩んでいきます。

まず、『気仙沼ニッティング』は、
「ほぼ日」の他のコンテンツや商品とは、
とても大きな違いがあります。
それは、独立した事業にするということ。
『気仙沼ニッティング』は、
「会社になる」ことを目指しています。

今はまだ小さくて、卵やヒナのような存在なので、
「ほぼ日」が親鳥のような役割で、
こうして『気仙沼ニッティング』を育てています。
でも、やがてヒナは巣を出て、
一人で飛び立っていくことになります。

 

●たった5着からのスタートですが、  どうぞよろしくお願いいたします。

今回、気仙沼ニッティングが
「ほぼ日」を通じて注文を募集したカーディガンは、
たったの5着だけです。
「あまりにも少ない」と思われた方も、
きっと、いらっしゃったでしょう。
ただ、これが、いまの『気仙沼二ッティング』の
確実にできることであると、
ご理解いただけましたら幸いです。
一着一着は、まちがいなく
どこに出しても誇れるものとして出来ました。

「最初はたった5着のカーディガンから始めたんだよ」
なんて、あとでたのしい笑い話になるように、
これからしっかり、大きく育てていきたいと思っています。
どうぞ、温かくお見守りいただければ幸いです。

 

●うれしい仕事の「場」になることを。

『気仙沼ニッティング』のお話をすると、
「つまり、雇用をつくりたい、ということですね」
と言われることがあります。
「雇用創出」というのは、
最近とくによく耳にする言葉です。
でも私たちが目指しているのは、
「雇用をつくりたい」ということとは、
少し違うところもあるように思います。

もちろん、気仙沼に仕事をつくり、
きちんと対価をお支払いする、ということは大前提です。

でもそれだけでなく、私たちは、
そこで働く人の「誇り」だとか「うれしさ」にも、
重きをおいて考えています。

正直、気仙沼ニッティングを始めた当初は、
そこまでこのことを意識していなかったかもしれません。
でも、気仙沼に身をおき、
震災にあわれた方々のお話しを伺っていると、
「仕事をしたい」という気持ちを
強く持っている方々が多くいらっしゃることに
気づかされます。
そしてそれは、
必ずしも「お金のため」だけではありませんでした。

あるとき、気仙沼のお母さんが
こんなことを言われていました。

「手仕事をしていると、気持ちが落ち着きます。
 いろんな大変なことはあっても、
 その仕事に、没頭することができて。
 でも、仕事だったら
 なんでもいいというわけでは、ないんです。
 いいものを作っている、というのがうれしい。
 そして、それを人がよろこんでくれる、
 というのがうれしいんです」

人がよろこんでくれる仕事だからこそ、うれしい。

それは私たちにとっても大きな気づきでした。

『気仙沼ニッティング』は、
その仕事にかかわる人の誇りになるような、
そんな仕事をつくりたいと思っています。

そのためには、
私たちが「最高」と信じられる商品をつくりたい。
そして、編み手の方が
それをお客さんのために編めることが、
誇りになるような仕事にしたい。
そう、思っています。

『気仙沼ニッティング』の
ファーストモデルである「MM01」は、
まさに、私たちが「最高」と信じられるものです。
羊を、毛糸を、編みものを知り尽くした方々と共に、
毛糸づくりから始めた、どこにも妥協のないものです。

全体に、力不足のヒナの段階ではありますが、
「お届けするもの」の水準には、厳しい目を向けています。
これからも私たちは、
「いいもの」と信じられるものだけを、
編んで、お届けしていきます。
その過程までも、お楽しみいただけるとうれしいです。

 

●「いい会社」を贈る。  そういう支援ができますように。

また、もうひとつ、
「雇用をつくる」とは違う考えの部分があります。
それは、私たちは、
「稼げる会社そのもの」を気仙沼にプレゼントしたい
と思っていることです。
それは、資本だけでなく経営の仕組みも含めてです。

今は、会社のたちあげ時期ですので、
「ほぼ日」や、私のような、
気仙沼・東北の外の人間が
経営や実務にあたるような部分をやっています。
でも将来的には、
この会社が気仙沼でひとりで走り出せるように、
だんだんと会社の舵取りも、
気仙沼・東北の人たちと一緒に
やっていきたいと思っています。

今はまず会社として成り立つところまで持っていくことが
目下の目標になっていますが、
その先には、そんなビジョンを思い描いています。
とても、難しいと思います。
いろんなチャレンジがあると思います。

でも、これがもし、
今の東北でできたら。
今の日本でできたら。
それはきっと、気仙沼や東北を超えて、
世界中で、
勇気づけられる人がいるモデルになるんじゃないか、
とも思っています。

人が誇りを持てる仕事をつくる。
人間がする仕事に価値を生む。
それは世界中(先進国だけでなく、新興国も、途上国も)が
目の当たりにしている課題です。

そんなモデルが、日本でできたらすごいなぁ。
東北でできたらすごいなぁ。
そんなことを思っています。

 

●どうぞ、応援をよろしくお願いいたします。

夢は大きいですが、
目の前には、具体的に解かなくてはならない課題が
たくさんあります。
(たとえば、編み手の方のすそ野をどう拡げるかとか、
 春夏の仕事はどうやって作るか、とか‥‥)
なにしろ、たった5人の顧客からスタートする事業です。
「売る・買う」だけの関係ではない「つながり」が、
たくさん必要となりますし、
「出合い」や「つながり」のなかから、
新しい機会や、底力のようなものが
ダイナミックに生まれてくるのだと思います。
いろんな人の「気持ち」がかかわる仕事です。
だからこそ、ゆっくりと、丁寧に、
永く続くものをつくっていきたいと思います。

どうぞ、応援をよろしくお願いいたします。

気仙沼ニッティング プロジェクト・リーダー 御手洗 瑞子


『気仙沼二ッティング』の出発点は、
やはり、2011年3月11日の大震災です。

その日のこと、その日からのことは、
口に出されることこそ少なくなっていますが、
誰ひとりとして忘れていません。

この状況のなかで、
なにができるのか、なにをしたらいいのか。
これという正解があるとは思えませんでした。

関わった人たちが笑顔になるようなことを、
まずは小さくてもいいから
だんだんと成長していくようなことを、
新しいよろこびや、新しい友人を連れてきてくれることを
‥‥そんなことを思いながらメモしたのが、
「東北手工業地帯」というだじゃれのようなことばでした。

人が大事につくって、
人が大切に使ってくれるものが、
あの震災を経験した東北から育っていく。
つくる人と求める人の間に「敬意」があって、
それがやりとりされていくような関係。
理想論のように聞こえてしまうかもしれませんが、
その逆のような「世知辛い市場」に、
人びとも疲れ果てているのも事実です。

相談に乗ってくれた人たちが、
じぶんの夢を託すかのように、
「なにか手伝うよ」とか「応援します」とか、
言ってくれるようになりました。

遠くブータンで外国人として働いていた
御手洗瑞子も、そのうちの一人でした。
当事者として、現場で感じ、現場で考え、現場で動く。
そういう、最初の一歩を踏み出す人が、
なによりも必要だと思っていましたが、
彼女がそれを引き受けてくれました。
気仙沼に下宿して、週のうち4日を気仙沼で働きます。
残りの3日は、東京を中心とした気仙沼の外での仕事です。
2012年の6月に、気仙沼に引っ越して、
すぐに特売の「自転車」を買いました。

地球規模の大きなビジョンと、
自転車で同じ道を何度も行ったり来たりするような地道さ。
ことばとして、言っていた
『気仙沼ニッティング』のイメージは、
まったく現実そのものとして見えてきました。

なにもかもはじめての事業をするのに、
いちばん大事なのは、
おそらく「まじめな楽観主義」ではないかと思っています。
3月11日を間に挟んでも、気仙沼というところは、
とても星がきれいです、海が豊かです。
そして、なにより、その星や海を見ながら育った人びとが、
とてもおもしろいんです。
世界中の人に、この地から生まれた
『気仙沼ニッティング』のことが伝わって、
お客さんになってもらえる日が、きっとやってくる。

御手洗リーダー、その日が来るまでの間、
雪道なんかで、自転車で転ばないよう気をつけてください。


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